音のありか
「One Poem One Painting」 Lars Jansson Bohuslän Big Band
音楽の国スウェーデン。
ピアニストのラーシュ・ヤンソンが率いるビッグバンドジャズです。
音にはそれぞれ温度があります。
僕はラーシュから伝わる秋の風みたいな温度が大好きですが、
人によって好きな音楽や音楽の種類が違うって、
人によって丁度良いお湯加減があるみたいで
すごく面白いと思います。
みんなが別の所に道を作って、
いくつもの道ができて、いくつものバイパスが作られ、
いくつものジャンクションが生まれ、
いくつもの場所に旅することができるからです。
そして、この世のあらゆる物事は関連していて、
相互作用していると考えるべきです。
関連性の強さは、
互いの公約数の大きさによって決まります。
Aが更新されたら、Bは少なくとも
更新するだけの理由を持つことになります。
Aさんが手紙を出せば、Bさんが手紙を読みます。
この場合の関連性は決して弱くないし、何かしらの可能性も秘めています。
間に介しているのは郵便局です。
では、音楽においてはどうでしょう。
音情報を発する側とそれを受け取る側。
ただ、その芸術性は極めて流動的で身勝手な性格を持っているため、
良い悪いは事実上、好き嫌いと同意語になり
価値判断の8割強は受け取る側に委ねられます。
非常にあいまいですね。
そして、送信側と受信側の間に介しているものは何なのか。
音は空気の振動だから、空気でしょうか。
正しいですが、違います。
人体を隅々まで解剖しても「心」というものを
どこにも見つけることができないように、
楽器やオーディオ機器をどんなに細かい部品に分解しても
そこに「音のありか」を見つけることはできません。
なぜなら「音」というものは
物体ではなく、「動き」そのものだからです。
「心」もまた、「動き」そのものです。
つい、音や心を物体のように扱ってしまうのは、視覚が発達しているため
目に見えるものに頼ってしまう習慣が我々にはあるからです。
演奏者と聴衆の間に介しているのは、
「動きの情報」です。
車のように、動きの方向とスピード。
その組み合わせによって、情報が形作られるのです。
しかし、もしも音楽によって人が笑顔になれるなら、
そのゆるんだ口元が「音のありか」だと思ってしまっても
いいのかもしれません。
seki@dynamicaudio.co.jp
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